てんつくてんてんちびこがね

ペキニーズ 通称てんてん11歳で脳炎になったんです

東京の新盆ー父とてんてん

東京の納骨堂にした事で、

新盆の合同法要は

7月💦

そうかそうか、馴染みがなかったけど、そうなるんだね

そんなことを思い

早めに1人で納骨堂まで行って

沢山おしゃべりしてきました。

☆チャイチャイが来たこと

☆体調が上向いてきた報告

☆父も、てんてんもいなくなったことはもちろん寂しいけれど、あのそれぞれが(父もてんてんも、周りも私も)苦しい日々を終えた事

について、丸ごと受け入れて前を向く気持ちになったことを

 

ゆっくりお茶をお供えして、🍵 🙏話してきました。

 

とても穏やかな、

今まであまり味わったことの無いような

時間でした。

今もこれからも、私には大切な場所になるんだなと思います。

 

チャイチャイが来て、私に無表情な時間が無くなりました。

喜怒哀楽を失うところでした。

喪失感というものは姿や、時間だけでなく、

音に、匂いに、感じて、自分の内側に、表情に、

私が生きている事にまで突き刺さってきました。

分かっているのに、こんなにも分かっているのに

心と身体が追いついて来ない。

今度こういう事を迎える為に、

私は何か成長が必要だぁー

それが

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ここに来ることなのかもしれない。

と思いました。

 

こんな風に

チャイチャイとの一回目の夏を楽しんで行こうと思います

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てんてん宜しくね🙏❤️

 

 

5/12 納骨に💖

5/12

父の誕生日に、昨年の1月に亡くなった

父と一緒にてんてんを納骨をしました

4月に私が入院をして、

色々考えることもありました。

隣のお母さんとの会話で、

感じることもいっぱいあって

悶々としていました。

退院して、部屋に帰ると、

てんてんの花瓶のお花が🥀

これを見た時に、

「自分の甘さから、このこを置き去りにした。私」

って思ってしまって、泣きました。

父の事でお墓を探していましたが、

母の気も進まず、

てんてんと一緒にに入れる所を見つけて

一緒なら寂しくないね。

納骨堂の話が進みました。

ペットと一緒には、色々ハードルがまだまだ高く

完全に入れるのはほんの数件しかなく

他の方法は

☆人の遺骨に一部入れる(火葬場で)

☆お寺さんの同じ敷地にある

     ペット用共同墓地または納骨堂に入れる

☆一部を故人の遺品としてお墓に入れる

☆お墓の区画内にお寺さんによってはお墓の横にいい    

  ですよ(*^^*)という場合もあるそうです

  お寺さん次第

樹木葬で一緒の場所に

(これが今、結構増えてきました)

 

そんな方法がいくつか調べてありましたし

父の火葬後、お骨を拾う時

「一緒に入れるものはありませんか?」

と聞かれ、反対に質問させていただいたんです

「宗派によっては入れられないので

1部だけ、ここに一緒にする方もいると。。。」

との事

 

うちは

宗派のこだわりは捨てました。

コロナもあり

 

もう父が故郷に入ることを断念して、

法名を頂き、あとはこだわりなく手を合わせられる

そういう場所であれば、という気持ちです。

てんてんはてんてんとして入れたいし、

それぞれの永代供養もあること、

私がちょくちょく行けること、

そんなこんなで、

東向島の納骨堂に決めました。

 

 お経をあげて頂きました。✨✨✨🙏

お経の中に「てんつくてんてんちびこのぉ~ぉ」

と聞こえた時

住職すみません🙏😅

という気持ちと嬉しさと、心から

「安らかに、そして見守ってね」という

気持ちで溢れました。

 

父とてんてんは、今一緒に私がいつか入るのを

一緒に待っていてくれている。

そう思うと、なにか安心というか、ホットした

と言うのが本音です

 

6/5お墓の名盤ができたそうで

ひとっ走り自転車🚲💨

帰りに向島百花園で散歩して来ました。

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こういう時間ができたこと、

🙏✨こういう場所ができたこと

てんてんと父に感謝です。

悲しみや寂しさはあるけれど、

頑張るから見守ってろよー(ง •̀_•́)ง❤️

 

 

 

 

 

 

今年の桜🌸

てんてんが🌈に行ってからもう

4ヶ月半

姉ちゃんは緊張の糸が切れたのか

よく分からないけど、

生活時間が激変して、

睡眠もそこそことっていたけれど

仕事はしていたけど

朝ごはんも作らなくなって

夕飯も適当で

お昼も家に帰らなくなったから、

てんてんと寝転んでのんびりもせず

バタバタ3.4往復もしないから、運動も減り

結果、1週間の🏥特別休養が必要となりました。

🌸が咲いて、寂しさでいっぱいになっていて

何処にも出かけず、引きこもっていた週末

🔥腹痛🔥救急病院に電話しても、

ダメで力尽き朝まで、

朝から近所の病院で

深夜の電話で事情もわかっていたから

そのまま。。。🏥

あぁ〜( ᵕ ᵕ̩̩ )♡

あっという間に5日が経っています!

お陰様で経過は良好です

 

途中から相部屋になって、

看護師さん以外と久しぶりにおしゃべりをしました。

旦那さんもペットロスから認知症

なってしまったと。。。

実は私も....告白🙊

「手がかかった分、いっぱい一緒にいたんでしょー、子供みたいなもんだったんだね〜

でもさ、私はもう娘もいないけど、命ってのは、必ず終わりがあるんだよ。看取れたら役目果たしたって

思うしかないんだよ!」って

命の限りを見送ったんだね。

 

外を眺めながら  ߹-߹

 

12年前に1度ここで入院をした時、てんてんがまだ幼く

歳をとったてんてんを置いて入院は

絶対にしたくないから、

そう思って私は温存処置でなく、

その時切除手術をして、

まるで、その決意があったことを知っていたのかと思うように、

てんてんは3年、脳炎治療と介護になった。

極々近所の病院、あの時は

家に置いてきた10日間、手術前後の3日間以外、

毎朝、知人にお願いし、

病院の下まで連れて来てもらって

私も会うことを励みに過ごした。

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「どうしてお家にいないの?

まぁいいや、

今日もお散歩行ってくるよ〜じゃーねー( ¯−¯ )ノシ」

ペキニーズらしくて、感謝でした✨

と、ご飯食べて、お水飲んで、おやつ貰って、

夕方は

「また違うおばちゃんだァ〜、姉ちゃんよりおいち(ˊ˘ˋ* )♡おばちゃん帰るの?いいよ朝また姉ちゃんの所だよね」って、いいこに家でお留守番してくれて、乗り越えたんです。

帰った日は私もヨレヨレだったけど、

喧嘩しながら、毛玉取りして綺麗に拭いて。。。

いっぱい甘えて(⑉• •⑉)❤

あの日のことを忘れていました。

今回は違う

1人だけど、心配なくこの数日間眠って

色んなこと思い出して、

てんてんとの日々をゆっくり大事にしよう...🐌

7階の窓に時折桜の花びらが舞い上がります。

「ねぇーーーーチャーーーん🌸」って

てんてんが覗きに来ているみたい。

私の今年のお花見です

明日退院🌸

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てんてん🌈で今思う事 003

23、24と父の月命日とてんてんの月命日が並ぶ。

特別な信心があるということでもないけれど

何ヶ月経ったなと思って手を合わせ、

あの日のことが蘇る

 
 
 
 
 
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A post shared by 長谷川 典子 (@10hasegawa)


それを繰り返すことが、私の今後の人生なのね

と思う。なんかさみしいけれど、

先日保護犬に手を挙げてみたが

サラリと却下😅

それはそれで落ち込むね〜😮‍💨

で、その辺てんてんの存在がザワザワ感じて

そういう気持ちも少しおさまった。

こんなことを繰り返すのかな…🤣🌱

 

先日Instagram

脳炎と言われて、

いいと言われることを全部します

これ以外にあったら教えて下さい」

という投稿があった。

 

藁をも掴む、その気持ち分かる、

脳炎と診断された時、よくわからない、

意味がわからないまま崖から突き落とされたような気持ちになって、(同じことを書いている方もいた。)

夜の帰り道、泣きながら先生から言われた事が頭を巡った。

 

昨日までの日常を失った。

 

あの時の気持ちは忘れない。

 

だからその投稿を見た時、

この病気の酷さを感じた。

 

でも何でもやれるって言うことは、

口から薬もサプリも飲むことが出来る

足腰がたつなら、お散歩してストレスためないようにも出来る

それができな場合だってある。

楽しく

嬉しいが続けば免疫力だって上がる

いっぱい食べて、飲んで、出して、動いて、

少しずつ何かを取り戻し、

発作がまた何かを失わせても、

身体が元気であれば、補える力がまた着いてくる

それが出来たら、いい方なんですよね

 

人間だってそうやって生き、老いて行く

若い子は進行も早く

歳が言っていれば、老いも来る

今日を大事に暮らすことがすごく大事

 

翻弄されている時間より

その時に必要なことはその後見えてくる。

そのこ🐶を見て、

その先生🩺を信じて行けるか

それ以外に今は肝機能

今は腸内環境のアップ

体重維持

オムツのこと

足腰が!と

ずっとなにかテーマがある

スマホばかり見て、てんてんの顔見ないようになっちゃいけない!そう思ったし、

絶対に自分の健康を損なってはいけないと思った

 

お陰で少し私は強くなった

コツコツできるようになった

 

そして

明るく暮らしたい。楽しくいたい

今までとは違うけど、笑顔でいたい。

そう思ったのには理由がある

 

先生が

「発作が起きた時、

苦しいのも辛いのも犬は分からないし

記憶にも残らない。

何があった。くらいです

覚えているのは発作が起こる前の事

目が見えてる時は、どうかな?

辛いのは飼い主かな」って

 

いつ発作が起きても

いつ最後になっても

楽しくあなたのそばにいた私でありたかった。

そう思っていたんです

 

ではまた*˙︶˙*)ノ"

 

 

 

 

てんてん🌈で今思う事 002

トンガの火山噴火で

地球が生きている。

と改めて思っている今日この頃

てんてんがそばにいた時は、地震でも飛び起きて

てんてんに声をかけて身体を触って、そばにいるよ〜大丈夫( ー̀֊ー́)و♡って、暮らしていました。

東日本の震災で東京ではありますが、あの時、会社の外にいました。

まずはダッシュで会社に戻り自転車に乗って、

家に帰ると、興奮状態で私に飛び付いて、

「ねーちゃーん!!怖えーおっかねー!!!」って

すっぽりカバンに入れて、外に。。。。

そんな事が頭を過り

また興奮状態になって発作になったら、

と思うと。。。

今は

あ、揺れてる…💤

それにも気付かない事が

こんなふうになっちゃうんですね(笑)

ダメ姉ちゃんです。

 

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てんてんとの散歩で行っていた不忍池

昨日、半年ぶりに来ました。

寂しいな。やっぱり

でも気持ちいい。楽しかった想い出がいっぱいᵒ̴̶̷̥́~ᵒ̴̶̷̣̥̀ ♡

おかしなおじさんや、変わった人もいっぱいいて

やっぱり面白いところです。

 

さて〈病院の事〉

4.S病院に戻して、ここは本当に街の獣医さんです

待ち時間が、長いのですが、熱心に聞いてくださいます。

出てきた患者さんや漏れ聞こえる診察の様子で

どんな病院か分かります。

先生の優しい対応には何度も救われましたが、

ステロイドには少し否定的であったこと、

・高度な救命をする場所でないこと、

・専門的な事は外の病院に紹介を出す

・近所のシニアケアのワンチャン猫ちゃんも多い

これはどれも悪いことでなく、

その病院のスタンスが

はっきりとわかり、非常にありがたいと思いました。

 

てんてんはここに朝発作から預け夕方まで

預り入院をして貰い、発作を止めて、

様子を見て、脳の異常の可能性を診断

夕方には救急病院に紹介をして頂き、

夜にMRI

 

この速い展開のお陰で脳へのダメージが

少なく済んだ気がします

もしこれを抱えてしまう病院なら

こんな展開はなく、

契約しているMRI病院に予約を入れて

それまで入院か

家で大きな痙攣発作のまま長時間の待機となったでしょう。

 

5.救急病院

家からタクシーで2000円程度の所に救急病院があり

午後と夜に開いています。

仕事が終わってからも行ける所があると思うだけで、

ありがたいです

緊急手術のこやそこで最期を迎えていた犬も

見ました。

お値段はS病院が言うようにお高いです。

でもそれは朝を待てない状況では

致し方のないことの範囲では無いかと思います

MRIもその日に撮って

集中治療室、24時間スタッフと先生がいらっしゃいます。

面会も仕事終了後に行けました。これがなんともありがたいです

一つだけ気になったのは半年の間に3回4回となると

だいたい2回で先生が変わるという事です

先生によってスタッフの方の関わりも

少し違う気がしました。

ただこの救急の存在は、是非どこか近くにあるかどうかはチェックしておきたい病院のひとつです。

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6.専門医 M動物病院

脳炎の専門医という事で

S病院から紹介頂きました。

この病気は薬での調整で発作と進行を抑えて行く

壊死性髄膜脳炎はそのような治療なため、

一回目の救急病院の指導のもと減薬、

発症から1ヶ月半めに最発作を起こしました。

 

そのため薬の調整をする為に、こちらの病院に。

MRIの読み取り受診をしてから、主治医となりました。

M先生曰く、

「ここまで減らしていい状況じゃないよね」と

ステロイドの下限を決めさらに免疫抑制抑の為に

スタラシドという免疫抑制剤の処方が必要で

他院では処方出来ませんでした

 

これは私が勝手に主治医と思っていました🩺

そう勝手に思っていたというのが正しいです

M先生の診断があっても、近所で処置が必要な場合

他の病院で余分な検査をしたくないために、

先生から助言していただけないかと

お願いしたことがあります。

断られました。

「診察方法に間違いがなければ言えないな〜」

との事でした。

表向きという言い方は変ですが

獣医医学書脳炎の事を書いている

先生が開業している動物病院です

糖尿の犬猫ちゃんも多く、これも調整の難しい病気なんですよね。

近所の方は

特別のことがあったら行く所という表現をしていました

私は、主治医と言う立場でのお願いで

あのこの負担を思ったのですが、

検査しないと売上にならないしね。

しょうがないようですが。。。、

獣医さんのお互いの思いやりなのかな。。。。

でもこちらには

とてもとても色々3年間お世話になり

感謝しています

またそのことは後ほど


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てんてんの治療はこの病院を中心に

先生からの紹介の専門医

他専門に近い先生や、近所の行きやすい病院

もともとのS病院となりました

 

今日はここまでにします

 

ここで終えていましたが、一つだけ

ここは台東区です。とても恵まれています。

何件もない所もいっぱいあると思います。

でも私はこの5箇所を見てきて、

専門医って何? 手術屋???と思う気持ちを

次回書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

てんてん🌈で今思う事 001

てんてんがいなくなって49日がやってきました

悲しむ事と言うより寂しさ

手持ち無沙汰です

自分のことでいっぱいなのに、

なにか拠り所を探してしまう毎日です

時計を見て、「一回帰るか

これが癖になっていて。。。

なのに急に

てんてんとそっくりな保護犬に心揺れたり、

でも今は違うと思ったり、え、この保護犬てんてんと同じ誕生日!?って思って揺れたり

てんてんに、もてあそばれてる?私?

f:id:ten2ku10:20211226182523j:image愚か者め❣️byてんてん

(笑)

今はまだきっと無理なんだな…

全部このこの見せる幻のような

そう思って、

寂しさを埋めるだけで探しちゃいけないな

そのこに悪いかな

それより

色んなこと、覚えているうちに書いておこうと思って

しばらく、体験して思ったことを書いていきます

色々と。。。

〈病院の事1〉

てんてんは某有名ペットショップから購入して

家に来ました。そのペットショップの病院から、

1.台東区のS病院

ワクチンや細かい日常の手当に

約8年主治医として通ってきました。

•去勢手術

•お腹壊し

•耳のカイカ

。。。

しかし待ち時間がとてもとても長く、

仕事の合間が厳しいので変更

 

2.近所に開業したC病院

8年間殆ど病気をしない元気なこでしたが

一年に一回か2回お腹を壊すようになった、てんてんは

健康診断をしたことがなかったので、

ここで初めての健康診断

ワクチン.健康診断.いつものお腹壊しが回数が増し

下痢をし輸液するようなことあって

この時、常在菌だったんですが、

「一体何を食べっせたんですか!」と言われ

想像以上に傷ついたことを覚えています。

2年目の健康診断で、胆泥症と言われ薬を処方

しかし、これは何となく私の中で不信感を産み

 

3.元のS病院へ戻った11歳夏

胆泥症については、

「お薬嫌いなてんてんちゃんだから、まだお薬は必要ないかな。。。。まぁー心配ならお薬出しますけど」

そういう程度の事だったらしく。。。。

C病院のご商売だったようです

この時てんてんの違和感を初めて相談

その違和感はここに

https://tentukutenten.hateblo.jp/entry/2019/06/17/ここから始まっ2018/10/29_No%EF%BC%8E1

今読み返すと

ただただ殴り書いていたようなブログですが

もし同じような不安を感じた方は、

ワクチンやフィラリアの病院で相談しておくのも

大切だと思います。

あと元気なうちに、出来れば2箇所くらい病院にかかっておくと、病院の考え方の違いが見えてきます。

1箇所だけにこだわらず、ぜひ柔軟に病院にかかられることをおすすめします

 

ではまた

 

87.14年と2ヶ月の犬生

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初七日が過ぎ12日も経っています

祭壇は賑わいながら

私の気持ちを支えてくれています。

今、私は泣き暮れるようなことにはなっていません。

ちょっと手持ち無沙汰で、

四六時中時間は気にしながら、

あ、薬。。。じゃないかという感じで暮らしています。

 

てんてんが脳炎を発症した3年前、

あのまま目覚めなかったら私はどうしていたか…

その半年後麻酔で心肺停止になった時

あのまま逝ってしまっていたら…

多くの脳炎発病の犬がそうであったように。。。

そう思うと。。。。

14年もお世話させて貰えたことが、ありがたくて幸せだったと、感じています。

 

発作を起こし病院へ駆け込んで脳の病気の可能性を告げられた時、から始まり

MRI後キッパリ脳炎を告げられた時

左側の麻痺

何度もやってくる眼球の角膜裂孔、失明

繰り返し起こる皮膚の石灰化、化膿

しっぽの石灰化と壊死 膿皮症による脱毛

筋力低下による歩行困難

膀胱炎

大量の排尿

心臓弁膜症

膵臓の石灰化

色んな事に絶望もしたし、

入退院を繰り返し

怒りと、悲しみの中に溺れそうにもなったし

病院を駆け回り、

光ある言葉を探すような日々もあって

何度も泣きながら、夜一人で散歩した事も

白山から御徒町まで何回歩いたかな。。。

私の涙に困惑するてんてんも何度か

「姉ちゃんどうしたの❓壊れちゃったの?嫌いなの」

「嫌なんじゃないよ。悲しくてね」って

 

そんな時、頭にコノの曲が流れて

パルの「夜明けのマイ・ウェイ」⚠️注意⚠️音大きい

パル/夜明けのマイウェイ (1979年) 視聴No.6 - YouTube

🎶「悲しみを幾つか、乗り越えてきました〜〜

。。。走っている途中で時折辛くなってーーーーーー振り返りあなたの姿を追いかけてみもしました

でも夜はもうじき空けてゆきます。

今までと違う朝が

ガラスのような眩しい朝が芽生え始めています」

3年間、何百回口ずさんだろう。

うる覚えの歌詞だったけど、絶望から何度も立ち上がれたんです。

生きてるんだもん、泣いてちゃダメだね

🎶「だからもう私は大丈夫です。。。。。夢が溢れ始めています」

InstagramSNS

悲しさ苦しさを伝えるんじゃなくて、

素敵な介護生活で行こう🎶

お互いに幸せ感じて暮らそう🥰❤️って

脳炎にだって明日の光があるよ❣️👍

そう思ってリハビリを始めました♡

私達のために

もう未来を見て生きるのではなく

今日を積み重ねていこうと🍀

どんな命でも先に限りがあって

今を大切に生きてこそだよねって、

そしたら

毎日起きる出来事が辛く無くなったんです。

毎日この歌を口ずさんで、なんだっけねーこの歌?って言いながら(笑)


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11/24はてんてんと私の

お互い想いあった決着だったと思っています

こんな幸せな飼い主と犬はいないと思っています🐶❤️

だから感謝しかなく

ありがとうという言葉しか見つからずにいます。

「明日から姉ちゃんの仕事はまた始まるね。

嫌だよ病院で姉ちゃんいない所でサヨナラなんて。。。姉ちゃん今あたちが苦しいままなら姉ちゃんがお薬でさよならしようって、言ってくれたよね、姉ちゃんにそんな事させないよ。

あたちはもう身体はいらないよ。

それよりずっと姉ちゃんのそばにいる方がいいから、ここで1回終わりにしようね

ちゃんとお仕事するんだよ。

ちゃんと生きるんだよ。姉ちゃん❤️🌈。。。」

こう私に言ってくれたと、おもっています。

 

私達にいつか必ず来る出来事だったから

寂しいけど。。。。

あなたの想いをちゃんと抱き締めて

姉ちゃんは生きるよ❤️